-About Us-

クリニック紹介

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クリニック紹介

自己紹介

自己紹介

院長はこんな人

1981年
浜松医科大学医学部卒業

三井記念病院小児科、
東京都立豊島病院未熟児新生児科
などを経て
心身障害児総合医療
療育センター小児科勤務

2007年2月
げんきこどもクリニック開設

村山 恵子

院長はこんな人

1981年 浜松医科大学医学部卒業
三井記念病院小児科、
東京都立豊島病院未熟児新生児科
などを経て
心身障害児総合医療
療育センター小児科勤務

2007年2月
げんきこどもクリニック開設

村山 恵子

こどもたちへの思い

今の日本では、こどもたちも、子供を育てるご両親も、
がっかりしたり、自信がなかったり疲れたりすることだらけです。
診察室に来るなり、下を向きながら「おれバカだもん」という子がいました。
「こんなに先生のお願いをさっさと聞いてくれて、のどをオエッとされても怒らないで、100点満点じゃない!」というと、
ちょっと嬉しそうに、頭を上げて帰って行きました。
少し人と違ったり、苦手なことがあると、それだけでいじめられたり、 
しかられたり、自分はだめだと思ってしまう子供達がたくさんいます。
ちょっと他の子より出来ないことがあると、「この子はだめだ」と思ってしまうお母さんやお父さんもいます。
でも、ちがいます。
金子みすずが言ってくれたように、「みんな違って みんないい。」
苦手なことがたくさんあっても、どんなに障害が重い子供達でも、
こどもは(ほんとは大人も!)絶対に伸びる力を持っています。
ただ、だめだと思った途端に、伸びる力が縮んでしまうのです。
みんなが素敵に輝けるように、お手伝いしたい。
スタッフはそのために、日々笑顔を磨いています。

こどもたちへの思い

今の日本では、こどもたちも、
子供を育てるご両親も、がっかりしたり、
自信がなかったり疲れたりすることだらけです。
診察室に来るなり、下を向きながら
「おれバカだもん」という子がいました。
「こんなに先生のお願いをさっさと聞いてくれて、のどをオエッとされても怒らないで、100点満点じゃない!」というと、ちょっと嬉しそうに、頭を上げて帰って行きました。
少し人と違ったり、苦手なことがあると、
それだけでいじめられたり、 しかられたり、
自分はだめだと思ってしまう子供達が
たくさんいます。
ちょっと他の子より出来ないことがあると、
「この子はだめだ」と思ってしまう
お母さんやお父さんもいます。
でも、ちがいます。
金子みすずが言ってくれたように、
「みんな違って みんないい。」
苦手なことがたくさんあっても、
どんなに障害が重い子供達でも、
こどもは(ほんとは大人も!)絶対に伸びる力を
持っています。
ただ、だめだと思った途端に、
伸びる力が縮んでしまうのです。
みんなが素敵に輝けるように、お手伝いしたい。
スタッフはそのために、日々笑顔を
磨いています。

障害児医療への思い

中学の時に、知的障害児施設、止揚学園園長 福井先生の
「ぼくアホやない、人間や」という講演を聞き、
があん、と頭を殴られた気持ちになりました。
そして、将来は何らかの形で障害のある方々と関われる仕事がしたいと思いました。
同じ頃、シュバイツアー博士の「私の少年時代」を読んで、
医者になれれば、私でも何かできるのではないかと思いました。
それからは、たくさんの方々との出会いに助けられて、
一般小児科と新生児科で修行を積んだ後、
心身障害児総合医療療育センターという日本で一番古い肢体不自由児施設で、
脳性麻痺などの障害があるお子様とご家族の、げんきのお手伝いを20年近くさせていただいています。
まだまだまだまだ力は足りないのですが、
大学時代、医師になる勉強をしていた浜松の地で、
ほんの少しでも、こどもたちの元気をお手伝いしたいと、
クリニックを作りました。
心身障害児総合医療療育センターで診療をしていると、
障害があるお子様が、気楽にかかれるクリニックがあれば、
こんな遠くまで来なくて良いのに、と思うことがたくさんありました。
ですから、車いすでも気軽に来られるように、
げんきこどもクリニックはバリアフリー
建物は、ナチュラルをキーワードに作ってもらいました。
自分を含めて働く人の心のバリアも破ってゆきたいと思います。

障害児医療への思い

中学の時に、知的障害児施設、
止揚学園園長 福井先生の
「ぼくアホやない、人間や」
という講演を聞き、があん、
と頭を殴られた気持ちになりました。
そして、将来は何らかの形で障害のある方々と
関われる仕事がしたいと思いました。
同じ頃、シュバイツアー博士の
「私の少年時代」を読んで、医者になれれば、
私でも何かできるのではないかと思いました。
それからは、たくさんの方々との出会いに
助けられて、一般小児科と新生児科で修行を
積んだ後、心身障害児総合医療療育センター
という日本で一番古い肢体不自由児施設で、
脳性麻痺などの障害があるお子様とご家族の、
げんきのお手伝いを20年近くさせていただいています。
まだまだまだまだ力は足りないのですが、
大学時代、医師になる勉強をしていた
浜松の地で、ほんの少しでも、
こどもたちの元気をお手伝いしたいと、
クリニックを作りました。
心身障害児総合医療療育センターで
診療をしていると、 障害があるお子様が、
気楽にかかれるクリニックがあれば、
こんな遠くまで来なくて良いのに、
と思うことがたくさんありました。
ですから、車いすでも気軽に来られるように、
げんきこどもクリニックはバリアフリー。
建物は、ナチュラルをキーワードに
作ってもらいました。

自分を含めて働く人の心のバリアも
破ってゆきたいと思います。

院 内 紹 介

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